★ 2001紀伊半島・中国/四国地方漫遊の旅(9月17日(夜)〜20日)
さて、今年は久しぶりにちゃんとした夏休みが取れたので、旅なんぞに出てみた。なので、今回はその様子などを自分の日記代わりとしてしるしてみたいと思う。携帯電話と何の関係がるの?などと突っ込むのはなし、なんと言っても私のページなのだから何をやっても可なのである。(というよりほかにページを作るのが面倒くさかっただけとの説もあり)
今回のたびのメインはなんと言っても「船」である。しかも、人だけでなく車やらバイクを乗っけて運んでくれる長距離移動フェリーだ。私個人のことを知っている人は知っていると思うが実はバイク乗りな私である。世代的には「ばりばりでんせつ」とか「あいつとららばい」なんかがちょっと青春には早い時期に流行していた感じ。こんなことを書いていたら色々思い出してしまったので調子の乗ってバイク歴なんかも書いてしまおう。今回はイケイケ状態である。
バイクに感化された時期が年代的にも早かった為か、一時的に熱は冷めてしまい実際に乗り始めたのが93年ころだったと思う。友人がスクータを買い、その影響か、原付免許を思いつきで取りに行ってそのままバイク屋へ直行パターンである。そんでもって買ったのが93年式の「SuperJOG-Z」である。学生であったが比較的金銭的に余裕があり「でいとな」とか「きたこ」のパーツをしこたま買っては組み込んでみたりしたのだが・・・セッティングを出す術も知らない私には荷が重過ぎて結局3ヶ月くらいでノーマル状態に戻してしまった。最終仕様はCDI交換とウエイトローラー交換、強化ベルトとデイトナ赤パット、そーだ、外見だけのインテークチャンバーなんかも付いていたよーな気がするなぁ。まぁリミッターが切れて最高速が伸びたくらいで走り自体は正直ノーマルとかわんねー状態である。この時点で既に「のーまるは偉大だ!メーカー仕様万歳!」「パーツ買うゼニがあるならガソリンとオイルとタイヤを買え!」という思想が身についたらしい。
街中を攻め込んですっ転んだり、エンジンかかんね〜とおもったら、キャブが水浸しで錆錆だったり、パトカーに追いかけられたが何とか逃げ切ったり、まぁ何かと思い出深いマシンであった。そうそう、富士山の5合目まで行ったときもこのマシンである、2スト50で登る標高1000m以上は辛いっすよ、気圧の関係で全然エンジン回りません。カブより遅かった記憶が懐かしい。
んでもって2台目は「トヨタコロナ(1500cc)」・・・って車じゃん!てあまり気にしないように。こいつは実家の庭先に放置してあった(兄貴の練習用に親父が買った激安車)白い車なのだが、私に拾われたときは「グリーンに自然塗装されていた」(コケが生えていたってことだな)かわいそうなマシンである。余命いくばくも無いと思われたマシンであったが、94年の夏に私が車の免許を取った瞬間に奪取に成功。コケグリーンをコンパウンドで3日掛かりで白く戻して、オイル・タイヤ・バッテリーを全交換して復活させたのでありました。またまた初めての車ということで無茶苦茶走り回りましたな。半年で2万キロくらい走ったな?調子に乗って峠なんかを攻め込んでいたら箱根でガードレールに突き刺さり(初めてのどりふと?)何とか自宅までの100kmを完走(走行には支障がなかったらしい)車検が切れるまで乗ってそのまま廃車の運命をたどったのでありました。
ちなみにこいつのホームコースはぬぁんと「首都高」であった(大マジ)。2万キロのうちの1万キロ以上は首都高走行なのである。なので今でも首都高走行はお任せあれである。私の走っていたころは、そーだなぁ〜「32じーてぃーあーる」なんぞが列をなして走っていたり、携帯電話がまたあんまり普及していなかったころなので、取り締まり情報交換のために皆さんの車から「あまちゅあ無線」(多分430orつーめーたー)のモービルアンテナが生えていた頃だったか?週末になると走行車の半分くらいが「すぽーつかー」だったので逆に渋滞気味なんてことも多かった。事故も多くてよく、「すかいらん」が10台くらい玉突きで路肩に止まっていた風景なんかも記憶にあるぞ。
そんな中を1.5L(最低グレード)のコロナで走っていたのだが、「しばこうえん」のS字で攻め込みすぎて「うちがわ(運転席側)のどあが壁に接触」(タカハシケイスケが言うところの「いんをでっどにせめる」ってやつだ)とか「かすみのじゃんぷ」でちょっと飛びすぎたり等、結構真似事にしては危険なことをしていたのでありました。(1.5のSOHCだけど、がんばれば170くらいまでは六本木のすとれーとでだせるんだヨ・もちろん違反です)。
そうそう、みんなに言っておかないといけないことがひとつ。「首都高のオービスは死んでいるものも多いけど、新富町(外回り宝町のストレートからS字に突っ込んで2コ目に切り返すところ・警視庁の高速機動隊の新富町分署があるナ)のオービスは元気に動いていて、しかも前後ろ両方から狙い撃ちだヨ。ここで記念撮影をすると「けいしちょう(さくらだもん)」に出頭しなきゃナランノヨ。環状線の制限速度は50kmなので100kmちょっとで記念撮影でもあっさり「50キロおーばー、めんてい180日・短縮講習2日間でも残り100日」の刑が待っているので要注意。おまけも豪華で、錦糸町の裁判所訪問&罰金8万円くらい、キツイヨー、気をつけてね〜。(筆者の体験に基づく実話)
さー車もスクータもなくなった(スクータは盗難)、というわけでようやく「はしりや」らしいマシンを仕入れることになった。「HONDA VFR400R」である、購入は95年であるが銭がなかったので87年式、こみこみ27万円也。87年式というと小僧ご用達のNC30じゃないんだゾ「しょだいぷろあーむ・右出しマフラーのNC24」ってやつだ。リミッターなしでノーマル200オーバー可能。でも乾燥重量180kg以上(今のリッタークラスと同じ重さ)のくせにフロントフォークがNSRより細くて下りのヘアピンは命がけ(タイヤがあらぬ方向をむいてしまう)。カムギヤトレインなので160を超えたあたりから「カリカリカリカリ〜」とすざましい音がする愛嬌のあるヤツである。(わかんないひとごめんね〜)
こいつを買ってから「おくたま」とか「つくばやま」とか「はこね・つばき」あたりにちょくちょく出没するようになったのだが、奇跡的に1回も白バイに捕まっていない非常に縁起のいいマシンであった。そうそう「がいかんしたでぜろよん」の真似事なんかもして、パトカーに追跡食らったときもなんなく逃走である。転倒はちょくちょくあったが、クソがつくほど重いので転倒のダメージより、起こすことのほうが鬱になるマシンである。さらにタイトコースでは切り返しがひっじょ〜に辛いのであったが、今思えばちゃんとコントロールすることを覚えられた思い出深いヤツなのでした。そーだ、転倒が重なると「がむてーぷ補強」と「ハリガネ補修」が多くなると思うけど、ある日気が付いたらガムテープとハリガネでこのマシンはできている!という事実に気が付くことになるのでみんな気をつけようね。
最終的には、ある日「さー、はこねに遠征だ!」と駐車場へ向かったらこいつの姿はなくて、(ぞくにいう「ぬすまれた」ってやつだな)あえなく1年でお別れとなってしまったのでした。
前書きは次回も続くゾ