民国95年(平成18年) 台湾旅行記 7月4日
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つーわけで、早くも3日目である。本日は「ブラリ途中下車・台鉄ローカル線の旅」をお送りする。目的地はうらびれたローカル線「平渓線(ビンシィーシェン)」の「十分站」である。「十分」だけに十分楽しめます・・・あぁ、言っているそばから死にたくなってきましたね。

とりあえず脱力モードでどーぞ。


★ 記述日 2006年8月某日

というわけで、朝から水蜜桃姐姐なのであるが、朝っぱらからこの娘はテンション高すぎ・・・って録画ですわな。

さぁ、朝飯を買いに街に出よう・・・

日本だとろくに朝飯も食わずに会社に行くのだが、台湾では朝飯を買いにいくのが日課になっていたりする。朝飯は屋台で安メシってのが台湾労働者の定番なので、早朝から屋台がやっているので、珍しい食い物を探して・・・ってのも理由なのだが、実際のところ「洗濯した衣類を乾かす」が主目的だったりするんだよねぇ・・・なんといっても手洗い+手絞りなので、部屋に干しても一晩では乾かない・・・なので、半乾きの衣類を身につけて街歩きしつつ乾燥させると・・・まぁ、そんな感じです。

9時時点で30度越えるのも珍しくないので、30分もあれば完全に乾くんだよねぇ〜。正直少々濡れている位の方が街歩き時は気持ちよかったりします。

というわけで、メシを買う前には目的もなくブラブラするのですが、今日は電車に乗るので切符の買い方を確認に台北車站へ行ってみる(徒歩5分)。

長距離移動するときは、自強とか呂光(呂はくさかんむり)なのでカウンターで買うのがお約束なんだが、今回は各駅停車なので、自動販売機を使ってみようかなぁ〜って感じである。

で、見つけたのが「最新鋭の切符販売機(準備中)」である。

すげぇな台鉄! これでようやく紙幣が使えるようになるんだぁ〜

(台鉄の切符自販はコインしか使えないし、特急は座席指定が出来ません。なので長距離は必然的にカウンターになるんだよぉ)

更にブラブラすると・・・希望札・・・台湾版七夕ですね・・・あぁ、7/7が近いではないですか・・・

下見が済んだので帰るべぇ。

ラッシュ時間は終了したけど、相変わらずバス多すぎ。ちなみに台北車站前の忠孝路バス停は「発着路線数40オーバー」の巨大バス停群だったりします。ちなみに市内バスだけです。

県を跨ぐ中朝距離や、空港系のバスはまた別に発着場所がございますんで・・・

最重要路線ばかりなので、各バスとも2〜5分間各で発着するわけで、そりゃえらいことになるわけですよ。山手線の感覚でバスが走っていると思えばよい。

で、朝飯。なんか各種野菜とドレッシングを米粉生地でくるんだようなやつ。いわゆる素食ってやつでしょうか?お値段20NT。

さて昼前に出発です。

←去年から全然変わっていない新幹線関連の設備・・・

本気で開通するのか?(2回目)

日本に帰ってから調べたのだが、台北車站工区が一番工事が遅れているみたいです。

納得・・・

どうやら2006/2/9には竣工している・・・ハズだったみたいですね。

おぃ、清水建設もっとガンバれよ!

さぁ、プラットフォームに降りるですよ。

台鉄の台北車站はプラットフォームは全部地下なので暗いのだ。

うむぅ、台湾にも女性専用車両があったのだね。

去年は気が付かなかったのだが、最近なんだろうか?

つーか、看板デザインが日本と同じなんですけど・・・

* 後で判明したのだが、女性専用車両はここ1年くらいで導入が始まったようです。なんかスゲェ不評で廃止に追い込まれる可能性も高いそうです・・・なんつーかな、痴漢されたら黙ってないような感じの女性が多いんですけどね・・・

とりあえず各駅停車で出発してみる。

台北郊外の小都市ってのは、基本的に高層アパート群が駅前に林立し、何ともいえない雰囲気を醸し出していることが多んだけど、個人的にはココ「汐止」(汐留じゃないよ)が一番好きな感じ。



なんかね、台湾だと建坪率とか容積率とか関係ないので、とにかく隣接しまくりで、異常に迫力があります。

軍艦島とか多分こんな感じだったんだろうね。

夕焼けの風景とか撮影しに来ようかと思ったんだけど、気が付いたら時間切れでした。次回繰り越しである。

で、これは瑞芳で、平渓線に乗り換えた後の車内。

平渓線は盲腸路線なので、基本的に観光客しかいない。最近はプチ観光地として地元の人がたくさん訪れるため車内は結構混雑である。夏休みなので子供がおおいなぁ、しかも2両編成だし。

平渓線は「渓」の文字の通り、基隆河が作り出す渓谷沿いを走るので、河と山と緑豊かな田舎景色が窓から見えます。

第一目的地の「十分站」に到着。

普段は無人駅でもおかしくない程小さな街(というか集落)の駅ですな。

まずは腹が減ったのでメシ。

街が狭いので選択肢がないから目に付いた店に適当に突撃。

普通のリーマンとかガテン系の方がフツーにメシを食いに来る食堂です。

で、適当に頼んだら出てきたのがコレ。

60元と、やや高めの観光地価格。

でも、何となく想像通りなので安心。

 まぁ、アレですよメニューの字面だけで頼んでるので、毎度毎度ブツが出てくるまで、どんなモノなのかサッパリ分からんのです。

たまに「おまえが頼んだのはコレか?」とか聞かれている様子(だから、中文は分からねーんだって)なんですが、そんなこと聞かれても困っちゃうのです。

仮に違っていても食っちゃいますけどね。

メシも終わったので十分の街でも紹介しとこか。

十分の街は平渓線の線路が集落の中を突っ切っています。

つーか線路入ってアブなくね?・・・と思われるかもしれませんが、



街のど真ん中が線路なので、基本的に線路は立ち入り自由なのです。

「十分老街」という名称の通りの古びた街並みが続きまして、まぁ何とものんびりな感じです。ちなみに一番奥が十分站ね。

雑貨屋でラムネ(20NT)買って、ぼけーっと飲んでましたわ。

おばちゃんが「にじゅうえんね」って言っていたのが印象的。

コレは帰りの写真だけど載せておく。

どこからでも出入り自由な駅なのです。

娘と奥様の集団ですが、おとーちゃんはお仕事ですわってかんじ?

街の裏手は基隆河がございまして、こんな吊り橋がシンボルで存在します。

さて、十分のメインイベント「台湾炭坑博物館」へレッツゴーです。

ここは「台湾唯一の炭坑博物館」ということで、炭坑跡地をそのまま博物館に仕立てたリアルさがウリの観光名所・・・

にしては、客がおらん

とりあえず歩いてゲート(という名の小屋)まで行きましたが、車も歩行者もだーれもおらんでした。

でも気にせず突撃してみる。お値段250元(トロッコ列車代含む)

無人の受付でウロウロしていると爺様が現れるので、「いくですか?」とおもむろに金を払う雰囲気を醸し出すと「250元」(アルバイウーシィー)とのこと。

この爺様曰く、「上へ行け」とのこと。日本統治時代の名残で非常に片言だが日本語で案内をしようとしてくれたようだ。

ちなみにココは入って直後の風景なんだが、「廃坑になった炭坑をそのままに・・・」の紹介文は伊達じゃないってくらいに「廃坑施設がそのまんま放置配置」されている・・・

台湾ではあまり立ち入り禁止区域という概念がないので、少々ヤバゲでもどこまでも進入できちゃう。身の危険を感じたら自分で判断して入らないようにしてねってコトなんだよ、きっと。

この施設も保存処理とか全然していないので、コンクリートの朽ち果て度合いとかいい感じですよ。日本であれば「廃墟」扱いなんでしょうね。

何か落ちてきそうですけど、かまわず進入です。

運搬列車に石炭をたたき込む施設と思われる。

で、爺様の言うとおり山登りをしてみるのだが、結構遠いぞ・・・
「加油」(「ファイト!がんばれ」の意)とか書いてる場合じゃないって・・・

ちなみに写真は「石炭運搬ベルトコンベアーの展示」なんだけど、分かるかな?

既に地面と同化しつつあるんだが、確かにコンベア上に石炭が乗っかった状態が見えるでしょ?

何度も言うけど「廃坑になった炭坑をそのままに・・・」は嘘じゃない。

さて、山を登り切ると博物館の目玉「トロッコ電車」の停留所にでる。

奥からやって来た、黄色い出来損ないのボトムズみたいのがソレ。

ココまでの道のりであるが、

入り口(列車集積場) 〜 山道(ベルトコンベア) 〜 中間集積地(トロッコ終点)って感じになっている。で、ここから坑道トンネルまではそれなりに平坦なので、トロッコ列車に乗って移動するのである。

炭坑が動いていた頃は、トンネルから掘り出した石炭をこいつに載せてココまで運んでいたってことだね。

ちなみにココまでで、誰ともすれ違っていない。完全に貸し切りである。

なので、トロッコ列車も貸し切りなので、写真撮りまくりである。

えらいスピード感溢れる写真なんだが、実際には20kmも出ていないハズ。

なんつーかな、基本的にノーメンテナンスな上に、地面に直接レールを置いているから、とにかく振動がスザマシイんですわ。脱線しないのが不思議なくらい。

痔を煩っている人なら、病状悪化必死である。

結論としては「廃坑になった炭坑をそのままに・・・」じゃなくて、「廃坑になった炭坑をそのまま放置して廃墟となった」が正解だな。

でもね、こーゆーのが好きな人(例えば俺)には堪らん訳ですよ。

10分くらい内蔵をシェイクされ森を抜けると坑道トンネル入り口着である。

トンネル内部には入れないんだけど、入り口から奥深くをのぞくことが可能。

当時の建物をそのまんま公開しているので、炭坑風呂とか事務所とか列車整備棟とかが見学できます。

当時の装備品展示もあるんだけど、感覚的にはフリーマーケットだな。一個くらい持ってきても分からないと思うわ。

で、ウロウロしていたら南方系の案内お兄ちゃんが「こっちに来い」のようなことを言ってきたので付いていったのだが、15分くらいの「炭坑紹介映画」を、オイラ一人のために上映してくれた。

エアコン完備のプロジェクタールームがあるんですわ。

オール中文なので内容はイマイチ分からないのだが、創業当時のフィルムがたくさん見られるので結構楽しいかも。 台湾版の鉄ちゃん(鉄ヲタ)な人が出てきていたのはイマイチ意味不明。 多分、トロッコ列車の歴史的価値・・・のようなことを力説していたんだと思うわ(想像)

帰りもやっぱりトロッコ列車で中間集積地まで帰ってくるのだが、帰りは客人がおったわ。台湾の観光オジさん3人組で、別のガイドが付いていた。

そのガイドさんなんだけど、「謎の中国人」というという言葉がぴったりの人で、黒の丸レンズサングラスをして、妙に流暢な日本語を話していたのが印象的。

← 下山時の風景。ベルトコンベアの橋脚です。はぃ、これも展示物です。

で、帰りの電車。

十分から更に奥へ。終点「菁桐」まで行く。

途中の「望古站」の駅看板。既に読めません。

ここが終点菁桐站。

アバンギャルド、かつシュール風景。

あの熊はなんなんでしょうね?

炭坑系設備は当時のままです。

ここからはバスに乗って「木柵」まで行くのだが、一瞬バス停がどこだか分からない。

駅を出るといきなり小径で、商店街。

どう考えてもバスが走れる道じゃないつーか、行き止まりだし・・・

適当に駅前商店街を抜けて街道まで出てみると、そこに腐った看板・・・いやバス停を発見して一安心である。

台湾バスには珍しく始発駅の出発時刻が書いてある。途中所要時間を計算すればバスが来る時間が計算できるって寸法ね。これは親切。

バス停下にはバイクも捨ててあるです。

15分くらい待ってバス到着。

本数は少ないんだけど、電車の時間に合わせて運行しているみたいであまり待たされなかったね。日本だったら、次のバスは3時間後です・・・みたいな田舎なんだけど、さすがバス大国台湾である。

木柵までは40元(140円)

1時間くらいかかるんだけど、このお値段はすばらしいっすね。ホント。

山道を右に左に揺らしながらすっ飛ばして木柵へ到着。つーか、バス停終点まで行ってしまい、ここはどこやねん?と迷子になった。

木柵はMRTの駅があるハズなんだが、それらしき施設はサッパリない。あるのは、檳榔屋と屋台だけ。

悩んでもしょうがないので、女子高生とか子供連れのおっちゃんとか捕まえて、「MRT木柵站はどこじゃぁ〜?」とメモを見せて聞きつつ歩いていく。

最終的に到着出来たので問題なしとしとこ(でも1時間歩いたわ)

歩き疲れたので、駅前の麺線屋でメシを食うの図。

麺線(煮込みソーメン)があると、どーしても食いたくなるんですよ。

さー、帰るぞ台北站へ。

と、一気に近代的な風景に逆戻りである。

MRT木柵線は完全無人運行なので、ホームは完全開閉ドア付きです。(仕組みは「ゆりかもめ」とほぼ同じらしい)

で、ホテル前。既に夕方の超ラッシュ時間でした。

渋滞っぽく見えるけど、信号1回で全員通過出来るので、混んでいるけど流れている状態ですな。

夜はバスに乗って夜景巡りね。あー、今日は疲れたわ。



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